岐阜ヤナセグループの歩み
沿革
明治35年 (1902) |
初代近藤信次郎が才勝通り(現・金園町)にて「車鉄」の屋号で荷馬車製造販売業を開始する。 |
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昭和12年 (1937) |
二代目近藤満が現・本社自動車部の地で「近藤商会」を設立し、中古自動車と自動車部品の販売を始める。 |
昭和22年 (1947) |
組織を法人に改め、社名を有限会社近藤満商会に変更、近藤満が代表取締役社長、近藤嘉廣が専務取締役に就任する。 |
昭和25年 (1950) |
大垣市に大垣営業所を開設する。 |
昭和28年 (1953) |
近藤満株式会社と組織と社名を変更、近藤満が代表取締役社長、近藤嘉廣が専務取締役に就任する。 |
昭和35年 (1960) |
出光興産(株)と販売店契約を結び石油販売業を開始。第1号店として本社前に梅林給油所を開設し、以後、順次給油所網を拡大する。 |
昭和39年 (1964) |
(株)ヤナセと特約販売店契約を結び輸入自動車の販売・サービスを開始する。本社前にショールーム、岐阜市永楽町にサービス工場を開設する。 |
昭和42年 (1967) |
岐阜市永楽町に部品センターを新設、自動車部を本社へ移転する。 |
昭和46年 (1971) |
岐阜市永楽町のサービス工場を廃止し、同市岩栄町に移転する。 |
昭和49年 (1974) |
土岐市に東濃営業所を開設する。 |
昭和50年 (1975) |
三代目近藤嘉廣が代表取締役に就任、近藤満は会長へ。 |
昭和54年 (1979) |
消防防災部を設立、日本機械工業の消防自動車の販売と整備を開始する。 |
昭和59年 (1984) |
部品部を分離独立させ、コンマン部品(株)を設立する。 |
昭和63年 (1988) |
梅林給油所を廃止し、跡地にメルセデスベンツのショールームを開設する。 |
平成元年 (1989) |
石油部を独立させ、近藤満石油(株)を設立する。 コンマン部品本社を羽島郡笠松町円城寺に新築移転する。 |
平成2年 (1990) |
コンマン部品本社跡地に本社サービス工場を増設する。 各務原市蘇原町に各務原営業所を開設する。 |
平成3年 (1991) |
大垣営業所を大垣市小野に新築移転する。 |
平成5年 (1993) |
VW、アウディの取り扱いを止めて、オペルの販売に乗り出す。 社名を岐阜ヤナセ株式会社と変更する。 |
平成8年 (1996) |
四代目近藤登志満が代表取締役社長、近藤嘉廣が代表取締役会長に就任する。 |
平成9年 (1997) |
高山市石浦町に高山営業所を開設する。 |
平成9年 (1997) |
岐阜市雲井町にジャガー岐阜(株)を設立する。 |
平成10年 (1998) |
多治見市住吉町に多治見営業所を開設する。 |
平成12年 (2000) |
本巣郡真正町にACデルコサービスセンター日本1号店を開設する。 |
平成12年 (2000) |
コンマン部品大垣営業所を瑞穂市穂積町牛牧に移転する。 |
平成13年 (2001) |
岐阜市萱場にアウディ岐阜(岐阜西営業所)を開設。アウディの販売、サービスを開始する。 |
平成13年 (2001) |
ランドローバーの取り扱いに伴い、ジャガー岐阜(株)をユーロオート岐阜(株)に変更。 |
平成14年 (2002) |
金園町10丁目に(株)ケイエムコーポレーション(ミニ岐阜)を設立。BMWミニの販売、サービスを開始する。 |
平成16年 (2004) |
大垣市小野にアウディ大垣を開設する。 |
平成19年 (2007) |
岐阜ヤナセAG(株)を設立。 アウディの販売サービス業務を分離独立する。 |
平成21年 (2009) |
岐阜市西島町にミニ岐阜のショールーム・ワークショップを新築移転。 |
平成25年 (2013) |
高山営業所にアウディ高山認定中古車センターを併設する。 |
平成26年 (2014) |
多治見市若松町にアウディ多治見を開設する。 アウディ多治見認定中古車センターを同年秋にオープン。 |
平成27年 (2015) |
多治見市若松町にミニ多治見を開設する。 |
平成29年 (2017) |
岐阜市薮田にメルセデス・ベンツ岐阜サーティファイドカーセンターを開設。 |
令和1年 (2019) |
岐阜市茜部にジャガーランドローバー岐阜のショールーム・ワークショップを新築移転。 |
令和2年 (2020年) |
大垣市安井町にミニNEXT大垣を開設する。 アウディ岐阜に認定中古車センターを併設する。 |
令和4年 (2022年) |
岐阜ヤナセAG販売(株)を設立。 |